
高専生がスタートアップを起業。
音を通じて“見えない情報”を可視化する

高専生がスタートアップを起業。
音を通じて“見えない情報”を可視化する
道上竣介さんは、佐世保工業高等専門学校在学中に、音をAIで解析し、漏水調査やインフラ・機械の異常検知を行うスタートアップ「wavelogy株式会社」を立ち上げました。卒業後は東京科学大学大学院に進学し、研究と事業の両輪で活動を続けています。自らを「慎重派」と語る道上さんが、なぜ起業という選択をしたのか。その決断の背景と、これまでの歩みを伺いました。
wavelogy株式会社は、私が佐世保工業高等専門学校在学中に立ち上げた会社で、創業から約4年が経ちます。専門はもともとプラズマ領域の研究でしたが、それとは別に、課外活動として取り組んでいた「音」に関する独自の研究を、実社会で生かすことを目的に設立したのがこの会社です。
事業のテーマは一貫して「音」であり、wavelogyは、音に特化したAIを開発するベンチャー企業です。たとえば、鳥のさえずりを解析して種を識別し、森の生態系の健全性を評価したり、新幹線のトンネルや高速道路の橋梁で行われてきた打音検査をAIで代替するなど、幅広い応用が進んでいます。
いずれも「音を収集し、解析して価値に変える」という、シーズベースの技術を核にした事業です。ニッチな領域に見えるかもしれませんが、社会インフラの保守点検から自然環境のモニタリングまで、音の持つ可能性を多方面に広げています。
wavelogyの主力事業は、地下の“漏水音”をAIで検知するソリューション「SuiDo」です。これまでの漏水調査は、熟練の作業員が夜間に地面の音を聞き分けるという、いわば“耳の勘”に頼るアナログな手法が主流でした。こうした経験依存の調査を、誰でも再現可能なプロセスへと変えること。それがSuiDoの出発点です。
「SuiDo」は、ICレコーダーとGPSを組み合わせた手のひらサイズの端末で、誰でも簡単に音の収集が可能です。取得された音声データはその場でデジタル化され、ウェブ上の地図に自動マッピング。これまで専門職にしか担えなかった「音の判別」を、AIが解析することで、調査作業そのものを“音を集めるだけ”のシンプルな工程へと再設計しています
すでに長崎市・横浜市・宇都宮市など複数の自治体で実証試験を展開しており、これまでに蓄積された音声データは数十万件以上になります。AIの解析精度と信頼性の向上を図りながら、SuiDoは「誰でも使える漏水調査ツール」としての社会実装を着実に進めています。
この取り組みは、漏水検知にとどまりません。wavelogyが掲げるのは、「音を通じて“見えない情報”を可視化する」という大きなビジョンです。私たちが日々得ている情報の大半は視覚に依存していますが、実際には目に見えない領域にこそ重要なシグナルが潜んでいます。
たとえば、機械の打音検査もその一つです。従来は熟練職人の“聴覚”に委ねられていた異常検知も、AIと音響センサーの組み合わせによって代替・高度化が可能です。wavelogyはこうした「耳のプロセス」をデジタル化することで、人間の感覚では捉えきれない領域にまで音の力を拡張しようとしています。
最終的には、音を通して構造体の内部状態を解析するなど、“聴く”を超えて“診る”に近づけていきます。SFのような話に思えるかもしれませんが、それは遠い未来ではなく、10年以内には実現可能な現実であり、wavelogyは音が持つ可能性を社会に実装する、そんな未来を本気で目指しています。
ものづくりとの最初の出会いは、父の背中でした。日曜大工が好きだった父のそばで、幼いころから工具や木材に親しむうちに、自然と「つくること」が身近な存在になっていきました。
中学ではロボコン部に入り、そこから佐世保高専へと進学し、最初の3年間は、高専生活そのものを純粋に楽しんでいましたが、転機が訪れたのは3年生のときです。オムロン株式会社が主催する「制御技術キャンプ」に参加し、工場の自動化に使われるシーケンサーのプログラミングを体験しました。クレーンゲームのように、XYZ軸で動くアームを自分で動かす、そんな実習を通じて、「ハードウェアを自分の手で動かすおもしろさ」に強く惹かれるようになりました。
この体験をきっかけに、自分のなかでものづくりに対する意識が一変しました。授業に加えて課外活動にも積極的に取り組むようになり、LINE、SONYといった企業でのインターンにも参加しました。さらには、佐世保高専出身の先輩が立ち上げたベンチャー企業での現場経験も積み重ねていきました。
高専5年生のころ、ちょうど佐世保高専でアントレプレナーシップ教育の取り組みが始まりました。そのタイミングで赴任してきたのが、国立高専初の「クロスアポイントメント制度(兼業制度)」によって迎えられた入江英也准教授です。
アントレの授業は本来3・4年生向けだったため、5年生だった私は正式な受講生ではなかったのですが、課外活動として起業コンテストに出たいと申し出たところ、入江先生が手厚く指導してくださいました。
ものづくりの重要性はもちろん、ビジネスモデルの構築や資金調達の考え方といった実践的な知識、さらに「お金も大事」「マインドセットも大切」といった経営者としての視座まで、多方面で学ばせていただきました。入江先生の存在が、私の起業へのハードルを確実に下げ、背中を押してくれたと感じています。「身近に起業家が3人いると起業確率が上がる」という話がありますが、まさに自分にとって入江先生がその一人だったと思っています。
入江先生の助言を受けながら、高専生によるビジネスコンテスト「DCON(ディーコン)」にも挑戦し、3位を受賞しました。提出したのは、動物の鳴き声などの生態系データから森林の健康状態を評価するツール。当時の自分としては「少し過大評価だったのでは」と思う気持ちもありましたが、今振り返ると「折れるなよ」という激励の意味が込められていたのかもしれません。その結果は、大きな自信につながりました。
ちなみにDCONは、9月に応募してから翌年5月に本選があるという長丁場のコンテストです。私は最終学年での出場だったため、4月にはすでに高専を卒業していました。本選に出場する前のタイミングで、すでに会社を立ち上げていたんです。一次・二次審査を終えた段階で、起業に踏み切っていました。
起業のきっかけは、実のところとてもシンプルで、「一度やってみたかったから」です。人工知能、特に深層学習に関する研究を行っている、東京大学の松尾豊教授にアドバイスをいただいた際、「無理になったら潰せばいい」と言っていただき、その言葉のおかげで「それほど大きなリスクではない」と腹をくくることができました。背中を押してくれた、大きな一言でした。
もう一つの理由は、学生時代に取り組んでいたコンテストの存在です。コンテストって、どうしても一時的なものになりがちで、頑張って賞をもらっても、そこで終わってしまうことが多いです。ただ、それはすごくもったいないなと感じていました。実際、私はプラズマの研究を現在も東京科学大学で続けていますが、それとは別に課外活動で取り組んでいた「音」のテーマも、どうにか社会実装まで持っていきたかった。そこで立ち上げたのが、wavelogyという会社でした。
自分がつくったものに、果たして価値があるのか。誰かがちゃんと評価してくれるのか。それを確かめる手段のひとつとして、起業という選択肢があったんです。
私はもともと、挑戦的なタイプというよりは、どちらかというと「安全軸」で動くタイプです。たとえば高専在学中に起業したのも、「もしうまくいかなくても、大学から新卒で就職する道がある」と、あらかじめ逃げ道を確保していたようなところが正直ありました。
そんな自分にとって、起業家の話を直接聞く機会は大きな転機でした。「起業って、そんなにリスクの高い行為じゃないんだ」と思えるようになったんです。学問として何かを学んだというよりも、感覚として「これくらいならやっても大丈夫」と思えたこと。それが、私にとって一番大きかったのかなと思います。
アントレプレナーシップが一番育まれた瞬間は――正直に言うと、入江先生と一緒に飲んでいた時間かもしれません(笑)。私はアントレプレナーシップ教育の正式な授業を受けていたわけではありません。でも、すぐそばに起業家がいて、リアルな体験談を聞けたという環境がとにかく大きかったと思います。楽しい話もあれば、なかなか表には出せないような失敗談まで赤裸々に話してくださって、それがとても貴重でした。
与える精神(ギブの精神)にあふれた方で、包み隠さず語ってくれるその姿勢に強く心を動かされましたし、「自分もやってみよう」と思える一つの大きなきっかけになった気がします。本当に、それに尽きると思います。
アントレプレナーシップを学ぶ一番の意義は、「人生の選択肢を広げられること」にあると思います。起業はあくまで手段の一つにすぎません。私自身も「音」に関わる道を極めたいという想いがあり、そのために最も自由にハードウェアを扱え、自分の思い描く形で研究・開発を進められる手段として起業を選びました。でも、たとえば音に関して取り組んでいる企業に入ることも、目的次第では立派な選択肢だと思っています。
大切なのは、自分の目指すものに近づくための「手段」を知っているかどうかだと思います。起業だけが正解ではないけれど、アントレプレナーシップを学ぶことで「こんな選び方もある」と気づけるのは、人生の可能性を大きく広げてくれるはずです。
自分のやりたいことを見つける旅――人生は、きっとその連続だと思います。僕自身、気づけばもう25歳ですが、「これがやりたい」とはっきり言えるものはまだ見つかっていません。でも、20歳のころよりは確実にその方向に近づいているという実感はあります。
やりたいことが見つかっている人は、その道をまっすぐ進めばいい。一方で、まだ見つかっていない人も、今のうちに「自分が向かっている方向が正しいかどうか」を見直してみるだけでも、あとから大きく変わってくると思います。そのためにも、アントレプレナーシップを学び、自分の選択肢を広げておくことが重要です。すべての人に起業が必要なわけではありません。でも、起業という手段が「あり得る」と知っているだけで、見える世界は変わってくるはずです。
たとえ関係ないと思っている人が9割いたとしても、残りの1割にとってその一歩が大きなチャンスにつながるなら、その可能性を閉ざさないためにも、アントレプレナーシップ教育には意義があると思っています。
僕と同じように慎重なタイプの人に伝えたいのは、学生のうちに思いつくような挑戦には、実はそれほど大きなリスクはないということです。たとえば「起業してみる」、「資格試験を受けてみる」等、そういった手段は、一見ハードルが高そうに見えても、実際には安全圏のなかで試せることが多いです。
だからこそ、学生のうちに「これ、やってみたいな」と思ったことがあれば、迷わず動いてみてください。リスクを過剰に心配するよりも、やりたいと思ったタイミングで行動する。その方が圧倒的に早いし、学びも大きい。むしろ、リスクなんてほとんどないよ――そう言ってもいいくらいだと僕は思っています。
