ごく普通の医師がスタートアップの経営者に
ごく普通の医師がスタートアップの経営者に
谷口達典さんは医師でありながらスタートアップの経営者でもあるという、異色のキャリアを歩まれています。自身を「保守的なタイプ」と分析し、「一般的な医師のキャリアのレールに乗っていた」と語る谷口さんが、なぜ起業という道を選んだのか。アントレプレナーとして活躍する現在への道程を語っていただきました。
私はもともと循環器の専門医で、2017年に株式会社リモハブを起ち上げ、心不全や心筋梗塞などの心疾患を患った方に向けた『遠隔心臓リハビリシステム』を開発してきました。
心疾患の患者さんは、理学療法士や看護師のサポートの下、リハビリを通じて衰えた心肺機能や筋力を回復させ、ADL(日常生活動作)を改善する必要があります。日本循環器学会が出しているガイドラインでは、心疾患を患った方のリハビリの推奨度は最も高い推奨クラスⅠ(3段階)とされており、必ず実施すべき医療に位置付けられています。しかし、実際には多くの患者さんが受けられておらず、特に心不全では7%ほどの患者さんしか適切なリハビリを受けられていないのが現状です。心疾患は高齢の方に多い病気です。一般的に週3回のリハビリが推奨されているのですが、70~80代、場合によっては90代の患者さんが定期的に通院するのは存外に難しいものです。付き添いなど家族の協力も不可欠です。
こうした社会課題を解決するために、在宅でも医療機関と同等のリハビリが受けられるシステムを開発しました。リハビリには有酸素運動や筋力トレーニングが含まれるのですが、リハビリ中に不整脈が起こったり血圧が下がったりしないよう、もしくは起こった場合にすぐに対処できるように、看護師や理学療法士が患者から随時送られるデータを遠隔でモニタリングします。リアルタイムで見守ることができるため、患者さんの安心感にもつながります。
このシステムを早く、広く世の中に届けるために、現在は全国に在宅医療の販売体制を持つエア・ウォーター株式会社のグループに入って事業を進めています。2024年中に治験を終わらせ、2025年のローンチを目指しています。
幼少期や十代のころを振り返ると、特に目立った特徴もない平凡な子どもだったと思います。中学受験をした際も、10校ほど受験して受かったのは1、2校でした。ただ、今思えばコツコツと続けることは得意だったため、部活動などにも打ち込む傍ら、勉強も地道に続けていたところ徐々に成績が上がっていきました。
医師を志したのは高校1年生のころだと記憶しています。心臓外科医だった父の影響もありますが、将来を考えた際に、「医師の仕事は、基本を間違えなければ“悪いこと”にはつながらない」と思ったんですね。例えば、営利企業が経済活動で利益を追求すると、場合によっては環境汚染につながってしまうかもしれません。しかし、医師の仕事は少なくとも起こしたアクションが社会にとって悪いことにはつながらない。当時はそんなことを考えていました。
地元の大阪大学医学部に進学し、卒業後は順調に医師の道を歩み始めました。その間も医師としての未来に迷いはなく、一般的な医師のキャリアの“レール”に乗っていたというか、他の道はまったく考えていませんでした。ましてや起業の「き」の字も考えていませんでした。
転機は唐突に訪れます。臨床医として数年経験を積んだのちに、大阪大学の大学院に戻って医学の研究をしていたときのことです。スタンフォード大学発の医療機器開発人材育成プログラムであるジャパン・バイオデザインに、教授の勧めもあって参加することになりました。
私の専門である心臓の領域は、他に比べて医療機器をよく使うんです。一般的に知られているものだとペースメーカーや心臓カテーテルが挙げられるでしょうか。近年は小型の植込み型補助人工心臓が実用化され、心移植しないと生きられなかったような人たちの命を救っています。機器の進歩は医療を大きく変えるインパクトがあり、研修医時代から注目していました。また、海外では最新の医療機器を用いた研究が盛んに行われているのですが、日本ではなかなかない。私自身も機器を使った研究をすることが多く、機器開発を学べば日本でも医療機器の研究がもっとたくさんできるようになるのではないか、という思いがジャパン・バイオデザインに参加した背景にありました。
そして迎えたプログラムの初日。最初に言われたのが「君たちのゴールは起業だ」という言葉です。実は、このプログラムの大きな目的の一つが、医療機器の分野でイノベーションを起こすような起業家の創出です。したがってプログラムの内容も、ニーズの調査、機器開発、事業化という、医療機器ビジネスのための実践的なカリキュラムが組まれています。ただし、私の方は起業したいという気持ちは当時は全くなかったため、その言葉を聞いても当時は特にピンとくることはありませんでした。
プログラムは10ヶ月間にわたって実施されました。その間、ビジネスモデル、薬事の戦略、知財・特許の戦略など、医療機器ビジネスに必要な多岐にわたる要素を学び、プロトタイプの開発も行いました。そこで生まれたアイデアが、「遠隔心臓リハビリシステム」です。入念な調査の結果、アンメットニーズ(まだ満たされていない潜在的な需要)が存在し、解決できれば社会に対する効果も大きいことが分かりました。私は元々起業したかった訳でもないですし、社長になりたかった訳でもないので、「この事業をやりたい人がいるなら自分はサポートする」と周囲のメンバーにも伝えたのですが、誰かがじゃあ自ら社長となって起業しようとはなりませんでした。
そして、不思議なもので、10ヶ月もプログラムを受けていると、起業に必要な知識が身について「自分でもできるかもしれない」という気がしてくるんですね。人は分からないから不安になるんです。知識が自信を生み出し、自信が行動を変えてくれる――。最終的に、やりたい人がいないのであれば自分がやろうかなと思うようになりました。
元々、私はコンサバ(保守的)な性格です。そんな自分にとって、失敗するリスクを事前につぶせたバイオデザインのフレームワークも起業を後押ししてくれました。一番大きかったのは心臓リハビリの効果が間違いなかったこと。医学の領域ではエビデンスが科学的に示されているかが大事で、そこを示すのが難しくて失敗するケースが多々あります。心臓リハビリはすでにエビデンスが担保されていて、しかも遠隔のニーズもある。これは事業として「間違いなくうまくいく」と思えたんですね。プログラム終了から半年後に株式会社リモハブを起ち上げました。起業に興味がなかったコンサバな考え方の一人の医師が行動変容を起こしたという意味で、ジャパン・バイオデザインでの経験や出会いは、自分にとって大きな転機だったと感じます。
アントレプレナーシップとは、自分一人ではなく、周囲の人や組織を巻き込みながら、エネルギーと情熱を持って目的を達成するプロセスだと考えています。そういう意味ではジャパン・バイオデザインを入り口に、起業してから今に至るまで、ずっとOJT(オン・ザ・ジョブトレーニング)のような形でアントレプレナーシップを鍛え続けている感覚です。
会社を経営していると、医師の仕事とは異なる成長を実感できます。例えばお金、会社組織、事業、会社の未来など、本当にいろいろなことを考えなければいけません。病気の治療法は決まっていますが、経営には答えがない。自慢じゃないですけど、スタートアップが踏む失敗はことごとく踏んできていると思います(笑)。幸いクリティカルな失敗に至ることはなかったのですが、いわゆるハードシングスは経験してきています。そうした失敗から学びを得ることで、成長できていると実感しています。また、会社の代表をやっていると全ての情報が私の手元に入ってくるんです。そうした環境も成長の糧になりますし、成長の糧にしないと会社のメンバーに申し訳ないですよね。一方で、医師の仕事から離れてしまうと医療の現場感を忘れてしまうため、患者さんの診察は続けています。最先端でやってる人たちほどではなくとも、常に知識をアップデートしながら、現場で得た知識や経験をリモハブの経営にもフィードバックしています。
これからアントレプレナーシップを学ぼうとしている学生の皆さんに伝えたいのは、本当によく言われることなのですが、「やらないで後悔するなら、失敗してもやったほうがいい」ということ。私は父から「努力してダメだったら仕方ない。でも努力しないでダメなのはダメだ」とよく言われていて、今でもその言葉を大切にしています。やってダメなんだったら仕方ないじゃないですか。でも、やらない・頑張らないというのでは、そこからは何も始まりません。
私が指針にしている人生のゴールは、死ぬ直前に「この人生を生きてきて良かった」と思えることです。最期のときに「あれだけやってできなかったのなら仕方ない」と思えるのか、それとも「あのとき、もっとやっておけば変わっていたかも」と後悔しながら目をつぶるのか。学生の皆さんにも、やりたいと思うことがあれば、やらないで後悔するよりは、たとえ失敗したとしても行動することをお勧めします。かの有名なカーネル・サンダースは65歳からケンタッキー・フライドチキンの事業を始めました。伊能忠敬は日本地図を作るために56歳から全国の測量を開始しています。“人生100年時代”と言われるこれからは体が資本になるでしょう。リモハブは「世界の人に“健幸”を」というビジョンを掲げています。身体的にも精神的にも健康であることが幸せにつながるという考えです。人々が生涯、健康で幸せに生きられるよう、これからも医師と経営者の二刀流でがんばっていきたいです。